トルコの10日間(4)アナトリア②ヒッタイトの都ハットゥシャ ― 2013/07/13 02:30
アナトリア
②ヒッタイトの都ハットゥシャ
ヒッタイト人が初めてアナトリヤに現われたのは紀元前2200年頃と考えられている
アッシリアの商人が文字をもたらしたことから早くからヒッタイトの歴史は文字で
記された
ヒッタイトは歴史学的には
・ヒッタイト古王国時代(紀元前1660年~1460年)
・ヒッタイト帝国時代(紀元前1460年~1190年)
に分けて考えている
ボアズカレの街
ヒッタイトの遺跡ハットウシャはボアズカレという村の高台にある
②ヒッタイトの都ハットゥシャ
ヒッタイト人が初めてアナトリヤに現われたのは紀元前2200年頃と考えられている
アッシリアの商人が文字をもたらしたことから早くからヒッタイトの歴史は文字で
記された
ヒッタイトは歴史学的には
・ヒッタイト古王国時代(紀元前1660年~1460年)
・ヒッタイト帝国時代(紀元前1460年~1190年)
に分けて考えている
ボアズカレの街
ヒッタイトの遺跡ハットウシャはボアズカレという村の高台にある
ヒッタイトの都
ハットウシャの大地の上から眺めたアナトリアの景色は実に美しい
ハットウシャ
ハットウシャは神を祀った神殿、王の住む王宮、民衆の住宅が集まる街などの
建物が立ち並びそれは堅牢な石の城壁で囲まれていた
(1)大神殿
ハットウシャで最も大きな神殿で大神殿と呼ばれている
ライオンの水槽
正門の手前に水槽の残骸がころがる
正門
巨大な神殿の入口
ここから大きな石を敷き詰めた通りが伸びている
巨大な神殿の入口
ここから大きな石を敷き詰めた通りが伸びている
柱廊
中央に神殿の中枢がある
5本の柱が並ぶ柱廊を抜けると祭祀の間があり
ヒッタイトの神の中の神の天候神や太陽の女神の像が安置されていた
貯蔵庫と敷居石
食糧や交易品の貯蔵のため巨大な貯蔵庫が必要であったのだろう
本殿を取り巻いて貯蔵庫があり入口の大きな敷居石や
穀物を保管したと思われる大甕が目に入る
(2)城門
観光コースに組み込まれるものとして南側の城壁に穿たれた次の門がある
西側からライオンの門、スフィンクスの門、王の門などがそれである
門の構造は内側にカーブした一枚岩の柱がアーチを作るものである
観光コースに組み込まれるものとして南側の城壁に穿たれた次の門がある
西側からライオンの門、スフィンクスの門、王の門などがそれである
門の構造は内側にカーブした一枚岩の柱がアーチを作るものである
ライオンの門
西側に位置する門
城門の外側に口を開けたライオンを配し悪霊の侵入を防いでいる
ライオンのどうどうとした体躯や線彫された繊細な毛なみが目を奪う
スフィンクスの門
南側に位置する門
頭部はひと身体はライオンというスフィンクスの像が
城門の内外に配置されていた
エジプトとの関わりを今に記すもののひとつであろうが
ここのスフィンクスは女性的なのである
地中の門(イェルカブ)
南城壁の防御機能を高めるためにスフィンクスの門の下の斜面に
濠を設け土手を築いた
この土手を貫く坂の地下道がイエルカブである
巨大な石を組み合わせてアーチを形どった様子が内部から見て取れる
王の門
東側に位置する門
内側の門に刻まれた兵士の姿は王を現したものと信じられ
王の門と名付けられた
実際は王でなく守門神なのだそうだ
東側に位置する門
内側の門に刻まれた兵士の姿は王を現したものと信じられ
王の門と名付けられた
実際は王でなく守門神なのだそうだ
守門神の顔の表情
口が正面を向きかけている
(3)ヒッタイトの神々
千の神々の国を言われるほどヒッタイトは多神教国家だった
それはヒッタイトは様々な民族を率いる連合国家であり
それぞれの民族の宗教には寛大であったためである
ヤズルカヤ屋外神殿の岩壁にはヒッタイトの神々の姿が浮き彫りされている
山の神の肩の上に立つ天候神テシュブ
テシュブに向き合うヒョウに乗った太陽の女神ヘパト
(テシュブやヘパトはフルリ人の呼び名)
(ヘパトをハッティ人はベェルシェム、ヒッタイト人はアンリナと呼んだ)
次にテシュブとヘパトの息子神シャルマが豹の背に乗って立ち
右端は双頭の鷲の翼の上に二体の女神が乗る
シャルマ神に守り導かれるトゥタリヤ四世
トゥタリヤ四世(紀元前1250年~1220年)
シャルマ神の背後に紋章はトゥタリヤ四世の王名紋章
トゥタリヤ四世(紀元前1250年~1220年)
シャルマ神の背後に紋章はトゥタリヤ四世の王名紋章
黄泉の国の十二神
ハットウシャに残る遺跡はヒッタイトが古王国から帝国へと繁栄して行った
紀元前14世紀ごろに建てられた
大地の広がる遺跡の上物の形は失われているが巨大な石の基礎を見るだけでも
ヒッタイトの繁栄の様子が想像できた
トルコ共和国 中央アナトリア ハットゥシャ (2013年6月11日)
紀元前14世紀ごろに建てられた
大地の広がる遺跡の上物の形は失われているが巨大な石の基礎を見るだけでも
ヒッタイトの繁栄の様子が想像できた
トルコ共和国 中央アナトリア ハットゥシャ (2013年6月11日)
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