ストゥーパ(アジャンタ第26窟)2012/01/03 15:31

ストゥーパ(アジャンタ第26窟)
アジャンタ第26窟は第19窟と同様に後期チャイトヤ窟である。装飾は第19窟に比べ極めて華美である。基壇部は一層高くなり周囲に仏陀像、菩薩像を彫り出して取り巻いている。正面の仏龕は御殿のように造作されその中で仏陀は龍王が支える蓮華を踏み下げ説法印を結び王様のように獅子座に倚坐している。

ストゥーパ(エローラ第10窟)2012/01/07 11:55

ストゥーパ(エローラ第10窟)
エローラ石窟は仏教窟、ヒンドゥー教窟、ジャイナ教窟と3教合わせて34窟からなる。遺跡は3教が併存しているがそれぞれ異教により破壊されることなく残っている。
仏教窟は第1窟~第12窟の12窟ある。ストゥーパのあるチャイトヤ窟は第10窟で造営は紀元後7世紀とアジャンタ第26窟よりも100年以上時が過ぎている。
アジャンタ第26窟の仏坐像はストゥーパと一体感があるが、エローラ第10窟では正面の仏龕が巨大化しストゥーパと仏龕が切り離されたという感じがする。そして仏陀像は脇待を従え三尊形式に発展している。
ここに来て仏陀の遺骨を納めたストゥーパはやがて覆鉢に仏陀像を浮き出させ最終的に仏陀像を切り離し仏陀像が独立して歩き始めたという感じを持った。

仏陀像(アジャンタ第1窟)2012/01/10 17:35

仏陀像(アジャンタ第1窟)
アジャンタ第1窟が造営されたのは紀元後5世紀後~6世紀とされている。このころ中央アジアではキジル石窟やベゼクリク石窟の造営がすでに始まり、中国でも麦積山石窟をはじめ炳霊寺石窟、雲岡石窟、龍門石窟などで造営が盛んであった。
アジャンタやエローラを見ただけであるが、大仏のような大きい仏像は必要なかったのであろうかまったく無い。また、中国窟のように石窟であっても仏像は塑像が多いがここでは岩から彫り出したものが多い。形は説法印を結び王様のように倚坐している仏陀像が多く仏陀の権威がつぶさに伝わってくる。
第1窟はヴィハーラ窟であり柱で区分けされた広場を回廊が巡りその一番奥に仏殿がある。ここに仏陀像は結跏趺坐の姿であった。

仏陀像(アジャンタ第7窟)2012/01/12 17:50

仏陀像(アジャンタ第7窟)
アジャンタ第7窟はヴィハーラ窟であるが広間がなく、入口からすぐ仏殿になる。ここの仏陀像は本尊を含めた七尊形式である。仏陀像は結跏趺坐しており両腕は肘から先が失われていて印相は断定しがたい。仏殿の左右の壁に千仏が掘り出されていて全体で舎衛城の奇跡(千仏化現)の場面を現わしているのであろう。

仏陀像(アジャンタ第16窟)2012/01/13 01:29

仏陀像(アジャンタ第16窟)
アジャンタ第16窟はヴァーカータカ帝国の宰相が開いたヴィハーラ窟で天井の梁に可愛らしいミトウナとヤクシャの像がある。ここの仏陀像は説法印を結び王様のように倚坐している。どっしりとした量感がありなにか親しみのある姿をしている。

仏陀像(アジャンタ第17窟)2012/01/17 22:13

仏陀像(アジャンタ第17窟)
5世紀後半に開削されたヴィハーラ窟でヴェランダの壁にテンペラ画の仏伝や本生譚など絵物語が比較的きれいに残っている。また堂内の天井は大海原の波のように波打っているのもおもしろい。
暗い仏殿で仏陀は説法印を結び結跏趺坐している。

仏陀像(アジャンタ第19窟)2012/01/19 23:50

仏陀像(アジャンタ第19窟)
アジャンタ第19窟は5世紀後半のチャイトヤ窟であることは先に述べたとおりである。前庭右側壁で素朴な形をした仏陀が説法している。

見ざる聞かざる言わざる(ガンジースミリティ)2012/01/20 00:20

見ざる聞かざる言わざる(ガンジースミリティ)
ガンジーが最期に生活した部屋で見かけたこの人形・・・??足が鎖で繋がれている。どういう因縁があって彼の座り机の前にこの人形が載っていたのか?

仏陀像(アジャンタ第20窟)2012/01/20 18:36

仏陀像(アジャンタ第20窟)
ヴィハーラ窟の仏陀像はいずれも窟の奥にある狭い入口で仕切られた仏殿に安置されている。今の自分の家で言うならば座敷に置かれた仏壇のようである。

仏陀像(アジャンタ第26窟)2012/01/21 23:27

仏陀像(アジャンタ第26窟)
アジャンタで最後まで開窟作業が続けられたチャイトヤ窟。だとするとこの仏陀像はアジャンタで最後に刻まれた仏像であるのだろうか。ストゥーパから浮き出た仏陀は龍王が支える蓮華を踏み下げ説法印を結び獅子座に倚坐している。この仏陀は顔立ちがやさしく見ていると心が和んだ。